マカオに寄せるラブソング ~マカオの1997~

香港返還の前日、1997年6月30日。私はマカオの友人達と台湾喫茶で、たわいのない、そう、仕事の愚痴とか恋愛問題とかを語り合っていた。今、マカオでは台湾喫茶が流行っていて、雨後の竹の子のように、あちらこちらに台湾喫茶が出来ていた。日本の喫茶店と大きく違うのは、皆ここで賭けトランプに興じているということ。これといった遊び場がない街だからか、カジノの街だからか、皆それぞれのテーブルで一様にトランプをする姿は、日本人の目から見たら、とても奇妙である。

今日はさすがにテレビがつけられ、香港返還式典の様子が流されているけれど、たいして興味がなさそうに見えるのは気のせいか…。

マカオの人達にとって、香港が中国に返るということは、大きな問題ではないように思えた。何も変わらない、変わる訳がないじゃないか、何が変わるというのだ、そんな言葉をよく耳にした。投げ遣りなのではない、中国人独特の考え方とか、思想のようなものがそこにあるような気がした。何なのか、知りたい、見てみたい。


※旅行ミニコミサークル「クリエイティブ ライゼ」Vol.9(1997~1998)に掲載された旅行記を転載しています。


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◆恭喜

11時をまわる頃、友人達と別れ、ひとりで馴染みのバーに顔を出した。今日はさすがに大勢の人がいる。その中に、やっぱり親しい日本人がいた。何も話さずに、ただずっと香港返還の式典を見ていた。「おまえ、字幕なしでこの言葉わかるんだよなぁ」。何気ない一言だった。

画面では、中国首脳側がちょっと興奮した様子で話していた。「マカオの人も、香港の人も、字幕ないと辛いですよね。私が広東語のテレビを見る時と同じなんですよね」。

11時45分頃になると、皆にシャンペンが配られた。カウントダウンが始まる。12時ちょうど、返還された瞬間にシャンペンで皆で乾杯、いつの間にかいつもの顔馴染みのメンバーが集まっていて、それぞれがそれぞれに「恭喜、恭喜」「特にこれといったことはなかったな。皆で飲んでおしまい。いつもと一緒だったな」。誰かが言った、この言葉が全てだった。



◆同じ中国人なんだよ

何日か経ったある日、マカオの友人がこう私に言った。「日本人は皆がっかりしてるでしょう。何も変わらなかったから。変わらないもの。同じ中国人なんだよ。変わるわけないじゃない。それに、中国も今すごい勢いで発展しているしね。先をずっと見た、こういう中国人独特の考え方ってわかんないでしょう」。

一つ、思い出した出来事があった。航空会社で働いていた時のこと。私は台湾に行きたくて、日本アジア航空に割引チケットの申請を出していた。数日して、一本の電話がかかってきた。「中国大陸の航空会社の人に、台湾行きのチケットを出すこと、出来る訳ないでしょう。中国大陸と台湾の関係を知らないんですか」。このことを当時の同僚、台湾の友人に話したら、ひどく不思議そうに笑っていた。

日本人にしてみたら、両国に気を遣ったつもりだったのだろう。この事があった数ヵ月後、台湾と中国の航空協会同士の話し合いにより、チケットの発券・予約の提携が決まった。そして、香港・マカオを仲介とした、乗り継ぎ便の提携が決まったのである。

何か共通の利益をお互いが見いだした時、こだわりなく一緒になることが出来る。一つの処世術なのだろう。マカオの友人達は、これからのマカオ・香港・中国を熱く語り合っていることがある。この国はきっと、これからも元気なんだろうなぁと思い知らされる瞬間である。きっと何も変わらない、明日は更に素敵なはずだ。


◆予想外の変化

目に見えないところでの変化はあった。予想外の変化があった。それは-日本人の観光客が、ガタッと減ってしまった事である。ブームに乗せられて、皆来てしまったからなのか、移り気な国民性の為なのか、香港に何の変化も起きなかった為なのか、いずれにしても前年比40%減少というのは痛い。香港返還の変化と後遺症は、予想しなかったところで発生し、香港市民、マカオ市民を悩ませ、苦しめているのでした。