中央アジア・シルクロード浪漫紀行 ウズベキスタンレポート

今年5月の連休あと、8日間の日程で中央アジアのウズベキスタンを旅行してきました。
実は、首都・タシケントと青の都・サマルカンド以外のことは無知に等しく、ろくな知識を持たずに旅立ってしまったことを後悔した旅行ではありましたが、かえって変な(?)先入観ゼロだったので、見るもの・触れるものすべてが驚きと新鮮であふれていたような気がします。今回はサマルカンドとブハラ、あとヒヴァについてレポートいたします。


※旅行ミニコミサークル「クリエイティブ ライゼ」Vol.19 No.4(2008年)に掲載された旅行記の写真点数を大幅に減らして転載しています。


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◆青の都・サマルカンド レギスタン広場

――心の中に潜むこの国の色は何? タシケントで見たバザールに氾濫する原色よりも、やはり砂漠の砂色やモスクを飾るブルータイルの「青」が思い浮かぶ。――そんな世界が、圧倒的な壮麗さで古都サマルカンドの中心部、レギスタン広場に広がっていました。


広場に面してコの字型に立つ建築群は、イスラムの聖職者を養成する神学校のメドレセ。堂々たる方形の前壁にある入口は大きなアーチを描き、日干しレンガの上を群青や空色や白、茶色などのタイルが精密な文様を描いていました。両脇に立つメドレセの左右には「天空を支える」という意味もあるミナレット(光塔)も配置され、広場の中心にいると、ここが世界の中心で、本当に空を支えているかのような錯覚に陥ります。



青のドームの天井は、青と黄金の世界。まさに息を飲む美しさ。

かつて、チンギス・ハーン率いるモンゴル軍が壊滅的に破壊しつくしたサマルカンド。花咲き、果実が実る絵のような……と、あの玄奘三蔵(三蔵法師)も感嘆した都は、それまで市街北東に横たわるアフラシャブの丘(現在は荒野)にありました。14世紀半ば、歴史上に惣然と登場したユーラシアの覇者、アミール・チムールによって再建されたのが、現在のサマルカンドなのです。


その後、ソ連時代のウズベキスタンは、モスクやメドレセなどの建築物の修復工事は禁止され、ロシア正教以外を信仰することは許されなかった歴史があるにも関わらず、ずっと人々の心には、昔からのイスラム信仰が風化せずに残っていて、ソ連の崩壊とともにイスラム教が復活。そして、荒廃していたイスラム建築物を急ピッチで再建。今では修復工事もかなり落ち着いている様子でしたが、独立以降に名誉を回復した希代の英雄チムールが、どこかで指揮をとっていたのではないか?と、このレギスタン広場を見て、勝手な妄想をめぐらせてみたりした私でありました。

◆聖なる町・ブハラ 砂漠の中のオアシス都市

町全体が砂漠の砂色で、華やかさはないけれど、穏やかで落ち着いた町並みの印象を持ったブハラ。遺跡が保存されている旧市街は、かつてのシルクロード時代の面影を色濃く残し、中世にタイムスリップしたかのような気分になりました。


旧市街にはチンギス・ハーンの軍勢でさえ破壊せずに残したカラーン・ミナレットが天を突いて立つ。ラクダの隊商が往来する時代には、砂漠の灯台の役割も果たしていたという。アルク城(王城)もモスクもメドレセも現存し、私の目にはブハラの町並みはサマルカンドよりさらに悠揚として映りました。



ブハラは2500年の歴史を持ち、中央アジア初のイスラム王朝が発生した地。記録によると360のモスクと80のメドレセ、38のキャラバン・サライ(隊商宿)、そのうち、1500頭のラクダを収容できる宿が3つ、6つの交易所、16のハンマム(公衆浴場)、45のバザール、ハウズ(貯水池)は80を超えると記されている。彷彿とする宗教色濃いオアシス都市の賑わいぶり。ソ連時代は巡礼者が少なかったけど、独立後は国内外から次々とイスラム教徒が訪問。中央アジアのみならず、イスラム世界の聖地としての地位も戻りつつあるようです。


砂漠の中のオアシス都市・ブハラを象徴するラビ・ハウズ(池)のほとりには、しごく当然のごとくチャイハナ(茶店)がありました。お茶をすする人々の姿を、噴水のしぶき越しにうっとり眺め、自分もティーポットと茶碗をもらってチャレンジする。ウズベキスタン流の茶道をだれかれとなく教わり、チャイハナでひとり茶碗を口に運んでいると、隣の席から笑顔とともにナッツ類や氷砂糖の差し入れが……。

東西交易の昔から珍奇なる者と物に好奇心たっぷりで、それらに対して寛容なる人々の故郷だったのだと、いまさらながら思い至ったブハラの私でありました。



ラビ・ハウズのチャイハナで、ティータイムを過ごす人々。

◆古代ホレズム・ヒヴァ 城壁都市イチャン・カラ

ブハラより濃い砂の色――ヒヴァの町へ足を踏み入れたとき、今まで訪れたサマルカンドとブハラとは、何か違うものを感じました。ここに来て、それぞれの都市の特徴とイスラム建築物の違いが、おぼろげながら見えてきたような気がするのです。



そこに暮らす人も、今までとはあきらかに違いました。中央アジアのどこよりも早く世界遺産に登録された町のせいか、ほかの都市より少しだけ商売上手で、子どもたちもよく働きます。子どもたちから物を買うと、代金のほかに「私に1ドル、プレゼント」、さらに「お母さんにも、もう1ドル」とチップ(?)をねだられ、代金より高くつくこともありました。不思議と嫌な気分にならず、そんな子どもたちの姿を見て、とても愛しく感じたことをよく覚えています。


城壁都市イチャン・カラの中にあるゲストハウス「アルカンチ」で昼食。イスラム建築の中庭がある民家風の建物で、大きく枝葉を伸ばした木の影にチャイハナの縁台が。部屋をのぞくと、6畳くらいのスペースに、真ん中の通路を挟んでベッドが2つ絨毯の上に。調度品のほとんどはアンティーク。「こたつ」もある国なので、冬には用意してくれるかも?などと思いながら中庭の縁台に寝っ転がっていると、目の前に映るのは青い空と木の枝葉。聞こえてくるのは小鳥たちのさえずりと葉のそよぎだけ。あまりの心地よさにまどろんでしまいそう……。できればこんな宿に泊まりたかったなぁ。。。



ゲストハウスの中庭にあるチャイハナの縁台で。

時間の流れはあくまでもゆるやか。お茶をすすりながらしみじみ思う。潤しているのは、喉だけではなかったのだなと、ヒヴァで気付いた私だったのでありました。